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もう一つの真実・・・

歴史の断片(随時更新)









2019
1月の歴史の断片
01 昭和天皇、「朕ハ爾等国民ト共ニ在リ」と人間宣言。
03 魔性の女優 岡田嘉子、年下の演出家と赤い恋の逃避行。
07 昭和天皇崩御。イギリス大衆紙は元兵士たちの心情を代弁。
13 幕府、練習艦「咸臨丸」で初の太平洋横断へ。航海士はジョン万次郎。
15 坂本龍馬の恋女房 お龍。酒に溺れ多難の人生に幕。享年64
19 本邦初のストリップ興行を成功させた元商社マン、秦豊吉。
2018
12月の歴史の断片
01 国際信義を反故にしてきた日本の選択・・・ 対・米英決戦。
08 永遠の汚名、真珠湾の「だまし討ち」Treacherous Attack
14 首都 南京陥落、皇軍の勝利に列島は歓呼のるつぼ。
16 起工から4年、くろがねの巨大戦艦「大和」竣工。
23 国際法違反(パリ不戦条約)のA級戦犯7人に死刑執行。
27 あわや摂政皇太子!! 社会不安の中で起きた暗殺未遂事件。
11月の歴史の断片
01 戦時下に撤去の「ペリー記念碑」、戦犯を恐れた地元が再建。
07 明治政府、韓国を恫喝して不平等な日韓協約を強要。
10 天皇即位の裏で軍部と政府が密謀。激動昭和の幕明け・・・
15 歴史の舵をきった坂本龍馬に待ち受けた無情の死。
22 最後の将軍 徳川慶喜、爵位を得て悔いなき天寿を全う。
10月の歴史の断片
01 ソニー 世界初のCD発売。開発の舞台裏には楽壇の帝王カラヤンが・・・
05 徳川家康、キリシタン大名 高山右近を国外追放。
12 米の映画芸術科学アカデミー、超大物のプロデューサを除名。
14 英国の全面支援で鉄道開業。富国近代化の第一歩へ・・・
23 天皇陛下、初の中国公式訪問。反対が渦巻く中の皇室外交・・・
28 新天地へのモニュメント、「自由の女神」像が完成。

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72年前・・・1947(昭和22年) 1月19日
本邦初のストリップ興行を成功させた元商社マン、秦豊吉。

 前年11月、新憲法が公布され、この年の5月には、その施行を控えていた。もはや、帝国憲法の公権力は亡きに等しく、自由にモノが言える時代の到来である。

 しかし、都市労働者の生活は、ハイパーインフレで最悪。それでもヤミ市場は珍商売と進駐軍の放出品で活況を呈し、ヤミ成金にのし上がる者も数多(あまた)いた。

 さて、 正月の松の内も終わる去る15日、新宿伊勢丹裏の帝都座5階の劇場で始まった「名画アルバム」(額縁ショーともいった) なるショーが、連日、立ち見のでる大入りとなったのである。

 元来、ストリップショーとは、身につけた衣裳を、音楽やリズムに合わせ、踊りながら脱いでゆくもので、アメリカのショービジネスを起源とし、西部開拓の時代から盛んであった。また、第一次大戦中にパリで一世を風靡したストリップダンサー、マタ・ハリの存在も見逃せない(ドイツのスパイとされ1917年に銃殺刑)。

 そうした意味でいえば、「名画アルバム」なるショーは、ストリップと呼べるような代物ではなかった。腰と胸を隠した女が額縁の中にいるだけで微動だにしない。それこそ動かざること山の如しである。それでも、詰めかけた男たちは、息を殺し、固唾を呑んで舞台に釘付けになったのである。

 ショーの発案者は、 GHQ(連合国軍総司令部)から戦犯の指名を受けて公職追放となった秦豊吉(45)。秦は旧帝国大(東大)の法科を卒業後、三菱商事の商社マンとしてベルリンに赴任。帰国後は、文学趣味が昂じてマルキ・ド・サドをもじった「丸木砂土」のペンネームで下ネタの小話で筆を汚しながら、ゲーテの「ファウスト」やレマルクの「西部戦線異常なし」の翻訳で注目された。

 商社マンにアッサリ見切りをつけた秦は、再就職に東京宝塚劇場を選んだ。それからは日本劇場の運営にも加わり、日劇ダンシングチームを結成して、興行界では名を知られるれる存在となっていた。それが、敗戦によって公職追放の憂き目にあい、背に腹はかえられぬと、思いついたのが苦肉の「名画アルバム」なるショーであった。

 顔見知りの記者が、帝都座の秦を訪ねて取材した折り、「秦さん、もっと、まともな仕事を・・・」というと、言下に「それでは食えん」と怒りを露にして記者を睨みつけた、という逸話が残っている。

■ 大人の大衆娯楽として盛況を博したストリップ。
その舞台からは実力派のボードビリアンとスターダンサーが誕生した。

 同年8月、秦豊吉の成功に刺激された浅草六区街では、ストリップ公演を目玉とする劇場が相次いだ。その中でも、同年にオープンした浅草ロック座は、秦豊吉を顧問に招き、忽ちにして浅草ストリップ界の中核の座を占めた。すると浅草オペラ発祥の常磐座が、その後を追い上げた。客寄せのダミ声にもおのずと熱がこもったのである。

 一方、浅草のストリップショーとは一線を画そうと、銀座の日劇ミュージック・ホールがオープン。劇作家の丸尾長顕がプロデューサーとして招かれ、ダンサーの養成にも力を入れた。これで多少は洗練されたショーに生まれ変わり、評判はアメリカのGIたちにも広がった。

 人気のボードビリアンには、トニー谷、 EH・エリック、その弟の岡田真澄など。
スターダンサーには、春川ますみ(女優としても成功)、奈良あけみ、小浜奈々子たちがいた。また、デビュー前の岸洋子は、このステージでシャンソンを披露している。

 渥美清、それにコント55号やツービートを産んだ浅草フランス座の出現は、それよりもずっと後で、初の東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)のことである。

 その後の秦豊吉は、東宝・帝劇の社長となり、翻案物のブロードウェイ・ミュージカルを日本に定着させるなどの足跡を残した。戦争で一度は失ったものを、敗者復活戦で取り戻した秦豊吉の栄光人生。その生涯は1956年7月5日、64歳で幕を閉じた。


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