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もう一つの真実・・・

歴史の断片(随時更新)









2019
3月の歴史の断片
01 日本の韓国併合から9年、京城で独立万歳の大合唱。
   弾圧の中で虐殺も・・・

10 陸軍記念日の帝都を襲った東京大空襲。歴史への責任は・・・
17 ゼロ戦1号機完成、性能優先で人命軽視。
   その果ての神風特攻・・・
2月の歴史の断片
07 京都の官医 山脇東洋、
   刑場の罪人を使って日本初の人体解剖。

19 人間宣言の昭和天皇 全国巡幸へ。
   これに批判の矛先を向けた日本共産党。

22 つくられた軍国美談、
   上海事変の「爆弾三勇士」に国民は熱狂。

1月の歴史の断片
01 昭和天皇、「朕ハ爾等国民ト共ニ在リ」と人間宣言。
03 魔性の女優 岡田嘉子、年下の演出家と赤い恋の逃避行。
07 昭和天皇崩御。イギリス大衆紙は元兵士たちの心情を代弁。
13 幕府、練習艦「咸臨丸」で初の太平洋横断へ。
   航海士はジョン万次郎。

15 坂本龍馬の恋女房 お龍。酒に溺れ多難の人生に幕。享年64
19 本邦初のストリップ興行を成功させた元商社マン、秦豊吉。
23 ロシア戦想定の雪中行軍で199名の兵士が凍死。
   八甲田山 死の彷徨。

2018
12月の歴史の断片
01 国際信義を反故にしてきた日本の選択・・・ 対・米英決戦。
08 永遠の汚名、真珠湾の「だまし討ち」Treacherous Attack
14 首都 南京陥落、皇軍の勝利に列島は歓呼のるつぼ。
16 起工から4年、くろがねの巨大戦艦「大和」竣工。
23 国際法違反(パリ不戦条約)のA級戦犯7人に死刑執行。
27 あわや摂政皇太子!! 社会不安の中で起きた暗殺未遂事件。
11月の歴史の断片
01 「アメリカ憎し」と戦時下に撤去の「ペリー記念碑」、
   戦犯を恐れた地元が再建。

07 明治政府、韓国を恫喝して不平等な日韓協約を強要。
10 天皇即位の裏で軍部と政府が密謀。激動昭和の幕明け・・・
15 歴史の舵をきった坂本龍馬に待ち受けた無情の死。
22 最後の将軍 徳川慶喜、爵位を得て悔いなき天寿を全う。

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80年前・・・1939(昭和14年) 3月17日
ゼロ戦1号機完成、性能優先で人命軽視。
その果ての神風特攻・・・

 ゼロ戦の正式名称は「零式艦上戦闘機」。設計者である三菱内燃機(三菱重工)の堀越二郎は、アメリカに派遣されて最新の航空工学を学び、2年前からゼロ戦の開発に取り組んできた。

 ゼロ戦は、空母の発着艦もできるように設計され、国産機としては初めて機体のモノコック構造と主脚の引き込み方式を採用した。機体の外板は、住友金属が開発した超ジュラルミンで、エンジンは、回転数に合わせてプロペラの回転ピッチを自動的に調整する新技術である。

 かくして、運動性能、戦闘能力、航続距離で、アメリカのP40や、ドイツのメッサーシュミットの性能を上回った。試験飛行では搭乗員一人が死亡しながらも1年後には海軍に正式採用された。量産したのは、東洋一の航空機工場であった中島飛行機である。
 実戦投入は昭和15年9月の重慶爆撃戦、蒋介石空軍のソ連製戦闘機をことごとく撃墜して、その性能の高さを実証した。そして昭和16年12月の真珠湾奇襲の大戦果。それでも、未帰還機は29機を数えた。

■ 劣勢に回ったゼロ戦。アメリカ軍パイロットは有能で勇敢だった。

 さらに、6ヶ月後のミッドウェイ海戦では、熟練搭乗員の多くを失った。ゼロ戦の弱点を見抜かれたのである。燃料タンクの主翼に被弾すれば瞬時に火を吹き、追尾されれば防弾壁のない搭乗員は格好の標的となった。無事帰還しても、機体の修理や整備に必要な部品の精度が悪く、熟練の職人技を必要とした。

 さらに、最も立ち遅れていたのが電子兵装である。夜間の作戦飛行に必要な射撃用レ
ーダーの研究開発は、全くめどがたっていなかった。

 そんな状況下で、撃墜されたゼロ戦搭乗員の貴重な証言がある。ミッドウェイ海戦で敗北を喫した2ヶ月後の8月、戦闘機隊の指揮官・新郷英城大尉はガダルカナル島上空でアメリカのF4Fヘルキャットと交戦して撃墜された。幸運にも死を免れ、日本の駆逐艦に救助されて帰還すると山本五十六が新郷大尉を引見した。そこで、新郷大尉は、「米航空隊搭乗員の闘志は素晴らしく、我々を上まっている」と報告している。

 その山本五十六は、翌年(昭和18年)4月、ゼロ戦に護衛された前線視察で、搭乗機が攻撃されて、あっけなく命を落とした。

 さらに、昭和19年6月のマリアナ沖海戦の大敗。ゼロ戦の航空部隊も壊滅的な打撃をうけた。それは、日本が誇った航空部隊の終焉を意味した。その挙句の果てに全兵装と無線機を取り外し、250㌔爆弾を抱えた特攻機として使い捨てられてゆくのである。

 その外道な作戦決定の背景には、軍部の独善と慢心、さらには、異常ともいえる精神主義偏重のドグマがあった。


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