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もう一つの真実・・・

歴史の断片(随時更新)









7月の歴史の断片
06 107年前、日本 先進国に続けと
   オリンピックに初参加。結果は惨憺・・・

01 65年前、武力を保持しない平和憲法の下で発足した自衛隊。
6月の歴史の断片
18 73年前、下級兵誌の宿怨が爆発、復員船で元上官に集団暴行。
13 80年前、無差別爆撃の先例を歴史に刻んだ日本・・・。
06 総兵力300万、ノルマンディー上陸作戦から75年・・・。
5月の歴史の断片
01 日本万民と近代天皇の時代。
18 国家神道の復活、大嘗祭に27億円超の国費投入。
26 初代アメリカ総領事のハリス、
  幕府の石頭を説き伏せて「下田協約」を締結。

4月の歴史の断片
01 復活祭の日曜日、アメリカ軍 沖縄本島に無血上陸。
17 陸軍史上最大の大陸打通作戦、
   劣勢挽回に賭けた主力は馬と歩兵。

3月の歴史の断片
01 日本の韓国併合から9年、京城で独立万歳の大合唱。
   弾圧の中で虐殺も・・・

10 陸軍記念日の帝都を襲った東京大空襲。歴史への責任は・・・
17 ゼロ戦1号機完成、性能優先で人命軽視。
   その果ての神風特攻・・・

27 日露戦争でつくられた軍国美談、
   軍神・広瀬武夫 海軍中佐の場合・・・


 





2019年 7月16日 <NEW>
74年前、アメリカ 史上初の原爆実験に成功。
日本の命運定まる・・・


 盟邦ドイツが5月に降伏し、本土防衛の最後の砦、沖縄戦にも敗れた日本は、戦時緊急措置法と国民義勇兵法によって、婦女子までもが「一億一心・一億玉砕」の信念のもとに竹槍を持ち、日々、軍事教練に明け暮れていた。

 一方、戦争の早期終結は必定としたのが外務大臣の東郷茂徳。これに対し、首相の鈴木貫太郎は、去る13日、終戦工作の特使として元首相の近衛にモスクワ派遣の内諾を与え、ソ連大使館に申し入れた。そこには、情勢分析に欠ける政府の誤算があった。ドイツの降伏前に、日ソ中立条約の破棄をソ連が日本政府に告げていたにも関わらずである。

 また、細々と続けられていた理化学研究所と京都大学による日本の原爆開発における基礎研究は、ウラン鉱脈の発見に至らず6月には中止に追い込まれていた。とはいっても、その研究レベルは、極めて初歩的な理論に過ぎなかった。

 ただ、研究を推進した仁科芳雄(ケンブリッジ大学とコペンハーゲン大学に留学)の門下生で、戦後ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎を輩出したことは、ゼロから出発した戦後の日本にとって唯一の慰めとなったのです。

 史上初の原爆実験場となるアメリカ・ニューメキシコ州のアラモゴードは、雷鳴の轟きで、この16日の朝を迎えた。 鉄塔に吊るされた史上初の原爆「トリニティ」は、16キロ離れた観測地点からは、まったく目視できない。視野に入るのは広漠たる水平線のみである。

 やがてカウントダウンが開始されてから数分後の5時29分45秒、譬えようのない強烈な閃光が、視界にあるものすべてを真っ白に照らし出した。

 ここに、ヒトラー政権下のドイツで世界初のウラン核分裂反応が発見されてから7年、アメリカ、イギリス、カナダの頭脳を結集した軍・産・学共同の超巨大プロジェクト「マンハッタン計画」は、理論にすぎなかった原爆を現実のものとした。

 トルーマン大統領が、この朗報を知ったのは、ドイツのポツダムに向かう巡洋艦オーガスタの艦上であった。そのポツダム会談 (米英ソによるドイツの戦後処理と対日降伏勧告の協議)の席上、大統領がスターリンに、原爆のことを仄めかすと、「実戦に役立ててください」と素っ気なく答えたと言われる。

 なお、原爆実験成功の翌日、ソ連は日本政府に、和平工作の特使受け入れを拒否をしてきた・・・。

■ 原爆開発に逸早く動き出したイギリスのチャーチル首相。

 それは、イギリスに亡命したユダヤ系のドイツ人物理学者、ルドルフ・パイエルが、バーミンガム大学において、原爆を小型化できる理論を発見したことが発端でした。
 チャーチル首相は、ファシズムの驚異からイギリスを守るために、直ちに原爆開発の極秘プロジェクト「チューブ・アロイズ技術委員会」を立ち上げます。しかし、ドイツ軍機の空襲に晒されていたイギリスとって、新たな原爆開発の拠点を国内に建設することは困難でした。

 そこでチャーチル首相は、アメリカが原爆開発の協力に乗ってくれれば最短で原爆が開発できると見込んだのです。そのためには、これまでの研究データをアメリカに提供し、その後の開発データも共有できると考えのです。

 チャーチル首相の打診に対し、ルーズベルト大統領からは「早急に会談を行い、共同で開発を進めたい」との朗報がもたらされた。しかし、「マンハッタン計画」が動き出すと、両国の協力関係はアメリカの一方的な思惑で紆余曲折。その裏には原爆開発をアメリカ一国のものにしたいという考えが、「マンハッタン計画」の上層部にはあった。
 これに異議を唱えたチャーチルは、原爆開発のデータの共有とともに、原爆使用の決定権もアメリカと対等であることを求めたのです。これを受けて両国の高官はカナダのケベックで協定を結び、原爆を共同管理するうえでの基本方針を定めました。日本への原爆投下は、不幸にも、このケベック協定に基づいているのです。

 21世紀のヒロシマとナガサキは、核廃絶を掲げる平和都市の象徴です。しかし、戦後長らくは、国際社会から顧みられることがありませんでした。

 その背景が、戦犯の訴追を免れた天皇の存在です。ましてや、日本軍の捕虜となって多くの同胞を失い、家畜同然の強制労働に耐えながらトラウマを抱えて生還した元兵士たちにとって、天皇の存在は理解し難いことでした・・・。

 自国の都合の悪い歴史に向き合わなくなって久しい日本。戦争の記憶の先にある未来への教訓までも忘却に追いやってはならないのです。




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