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もう一つの真実・・・

歴史の断片(随時更新)









9月の歴史の断片
05 114年前、「屈辱だ」と日露講和に不服の
   右翼と群衆、市街焼討ちの暴挙。

01 関東大震災から96年、
   無残 戒厳令下の朝鮮人狩り・・・

8月の歴史の断片
27 89年前、蟹工船の労働者8人が暴行死。
   現代にもある労働搾取。

24 92年前、海軍の猛訓練が招いた
   最悪の海難事故・・・死者150人。

15 74年前、ポツダム宣言の受諾と公文書の焼却命令。
10 74年前、原爆投下は国際法違反、
   幻に終わった日本政府の抗議声明。

7月の歴史の断片
31 114年前、姑息な明治政府
   日露講和に動きながらロシアの樺太を占領。

28 74年前、日本政府 ポツダム宣言を黙殺。
   亡国の道へとまっしぐら・・・

16 74年前、アメリカ 史上初の原爆実験に成功。
   日本の命運定まる。
06 107年前、日本 先進国に続けと
   オリンピックに初参加。結果は惨憺・・・

01 65年前、武力を保持しない平和憲法の下で発足した自衛隊。
6月の歴史の断片
18 73年前、下級兵誌の宿怨が爆発、復員船で元上官に集団暴行。
13 80年前、無差別爆撃の先例を歴史に刻んだ日本・・・。
06 総兵力300万、ノルマンディー上陸作戦から75年・・・。
5月の歴史の断片
01 日本万民と近代天皇の時代。
18 国家神道の復活、大嘗祭に27億円超の国費投入。
26 初代アメリカ総領事のハリス、
  幕府の石頭を説き伏せて「下田協約」を締結。

4月の歴史の断片
01 復活祭の日曜日、アメリカ軍 沖縄本島に無血上陸。
17 陸軍史上最大の大陸打通作戦、
   劣勢挽回に賭けた主力は馬と歩兵。


 





<NEW> 更新 2019年 9月13日 
戦前の名作 「風と共に去りぬ」 が
戦後の独立した日本で初公開。


 初公開の前年、日本はサンフランシスコ平和条約の締結にこぎ着けて、アメリカ主導の占領政策から独立して国際社会への復帰が約束された。そして翌年の1952年(昭和25)4月に同条約が施行されて、晴れて、その一歩を踏み出したのである。

 日米開戦前、日本政府はアメリカの禁輸政策(中国への侵略を止めない制裁措置)の報復として、アメリカ映画会社の在日資産を凍結。アメリカを鬼畜と称して、映画やジャズ音楽などを一切禁じた神州日本。最前線の島々に送られた日本の兵隊は、国に見捨てられて野垂れ死に。さらに、主要都市をボコボコに破壊された挙句に止めの原爆で無条件降伏・・・。

 敗戦の虚脱と困窮の中で根付きだしたアメリカ・デモクラシーと、朝鮮戦争特需の好景気で息を吹き返した日本に、アメリカ映画大手のMGMやパラマウントを始めとする配給会社の10社が、日本支社を相次いで開設した。

 中でも最大手のMGMは、日米開戦前の1939年に製作され、世界に配給されたカラー長編の超大作 「風と共に去りぬ」 の日本公開を決めた。前評判は上々で、8月9日に前売り券が発売されるや、数日で1ヶ月先まで完売。それでも、公開される帝国劇場には前売り券を求める長蛇の列が途切れることなく続いたのである。

■ 戦時下、軍の情報局は「風と共に去りぬ」を極秘裏に試写していた。

 映画が国家によって完全に統制されていた時代、製作と配給のすべてを取り仕切っていたのが社団法人映画公社である。軍の情報局は、占領下のシンガポールから接収した映画フィルムの中に、長編カラーのプロパガンダ映画らしきものがあることを映画公社からの報告で知っていた。実は、それこそが「風と共に去りぬ」だったのである。

 1942年、映画公社は軍の要請を受けて、極秘裏に試写の計画を立てた。場所は松竹の試写室がある日本橋三越の7階ホール。試写当日には、陸海軍報道部のお歴々と映画公社の幹部が顔を揃えた。彼らにとっても始めて観るカラー映画である。しかも、4時間近い大作で字幕なし・・・。

 それでも、観終わった映画公社の理事・城戸四郎(戦後の松竹社長)は、「こんなとてつもない映画をつくるアメリカを敵に回してしまって戦争に勝てるのか・・・」と声を潜めて部下に漏らしたほどである。事実、城戸四郎の不安は見事に的中した。

 また、国内の極秘試写以外にも、占領地フィリピンのマニラや、シンガポールに派遣されていた陸海軍の報道要員の中には「風と共に去りぬ」を観た者は多い。しかし、それを口外することは、軍が許されなかった。

 戦後、小津調といわれる様式で数々の名作を残した映画監督の小津安二郎も、陸軍報道部映画班の任務地であるシンガポールで「風と共に去りぬ」を観た一人であった。その他にも、「嵐が丘」、「レベッカ」、「わが谷は緑なりき」、「ファンタジア」等々の名作を観る機会に恵まれていた。

 そうした機会があったればこそ、世界の映画人が高く評価し続ける小津調の様式に繋がったのではないだろうか。また、小津監督が戦前に国内で観た映画では、ジョン・フ
ォードの「駅馬車」を秀作の筆頭に挙げていたことにも、ガッテンするのである。










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