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もう一つの真実・・・

歴史の断片(随時更新)


131年前・・・1887(明治20年) 4月20日
初代首相の伊藤博文、
官邸でサルまねの仮装舞踏会。

  一昨年の12月、太政官制度が内閣制へと変わり、 44歳で初代首相に推された伊藤博文。その理由は、伊藤の盟友である外務卿・井上馨の「これからの首相たるものは、英文電報が読めなくてはだめだ」の一言であった。伊藤と井上は、かつて攘夷の暴走仲間で、共にイギリスに密航留学したおかげで、カタコトながら、英語の読み書きができた・・・。

 この井上の一言に、周囲は返す言葉がなく、百姓の小倅から、足軽の養子となったイモ侍、しかも、女ぐせの悪い伊藤に白羽の矢が立ったという訳である。

 さて、明治政府は、諸外国との不平等条約を改正すべく、鹿鳴館を舞台に、夜な夜な舞踏会を催し、欧化の外交努力を重ねてきた。しかし一向に進展しない。

 それもそのはず。政府は明治6年まで、 キリスト教徒を公然と迫害し、改宗しない者には拷問と極刑を科していたし、政府に反抗した士族たちの晒し首を見た公使官も多い。そんな訳で、諸外国から見た日本は、未だ理解の及ばぬ野蛮な国だったのである。

 そこで、思案した首相の伊藤は、井上外務卿の知恵を借りて、この日の仮装舞踏会となった。招待客は、駐日各国公使と武官。それを迎えるのは、夫人同伴の内閣の面々とその他大勢で、参会者は数百人にも及んだ。

 扮装を凝らした日本の高官たちが、鳥の羽をふわふわさせた洋装の女たちと踊る様は、まさに奇々怪々、異様極まる狂宴そのものであった。

  招かれた公使や武官は、外交辞令でその場を繕いながらも、日記には「彼らは猿にそっくりで、どう見ても異様である・・・」と一様に記したのである。

 結局、サルまねの仮装舞踏会は、政府内からも「亡国である」とする批判が相次ぎ、不平等条約の改正もならず、同年9月、外務卿の井上は、失脚に追い込まれた。

 ところで今年は、元号が慶応から明治に変わって150年。日本は今にいたっても、欧米の模倣を目指して努力する劣等コンプレックスと、伝統ある独自な国であると信じたがる優等コンプレックスが混在している・・・。

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この日にはこんな出来事も・・・

◉48年前・・・1947(明治49年) 4月20日
防弾ガラス越しのモナ・リザ展。

 50億円の保険がかけられて、 フランスのルーブル美術館からやってきたダヴィンチのモナ・リザ。この公開初日、東京国立博物館には、泊まり組も含めて約1000人の長蛇の列が、開館の午前9時を待った。会期中の会場は、名画の鑑賞というよりは、物見遊山のごとき賑わいに終始したのである。

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