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もう一つの真実・・・

歴史の断片(随時更新)


73年前・・・1945(昭和20年) 5月8日
ドイツの無条件降伏に連合国陣営は歓呼のるつぼ。

 前日7日の深夜、 フランス東北部のランスの連合軍総司令部で、ドイツの無条件降服の調印が行なわれた。

 一夜明けたこの日には、ベルリンのソ連赤軍司令部で米ソ仏の代表が改めて調印に臨み、 ヨーロッパ全土を戦火に巻き込み、4年半以上にも渡った戦争は、ここに終止符が打たれた。

 この一報に、連合国陣営の市民は歓呼に沸きかえった。とりわけ、長く苦しい戦いに耐えぬいたイギリス国民の喜びはひとしおで、バッキンガム宮殿のバルコニーには、国王ジョージ6世と家族、それに首相のチャーチルが揃い、広場を埋め尽くしたロンドン市民の歓呼に応えて、共に戦勝を祝った。パリでも、コンコルド広場を始め、広場と名のつく所は、勝利に酔う市民たちで沸きかえった。

 ニューヨークのマンハッタンは、星条旗が翻る中を紙吹雪が舞い、イースターさながらの熱気に包まれた。また、この日は、トルーマン大統領 61歳の誕生日。沖縄で日本軍と戦う将兵を讃えながら、ホワイトハウスは、夜遅くまで二重の喜びにひたった。
 連合国の勝利に大きく貢献したソ連は、対ドイツ戦で、約2千7百万余の将兵と国民の命を犠牲にした。アメリカは、一億玉砕の構えを崩さぬ日本との戦いを残しながらも、本土が戦禍に巻き込まれなかったのは幸運であった。

 それだけにソ連は、ドイツの戦後処理と覇権をめぐって、米陣営と思惑がすれ違い、やがては対立が表面化して、深刻の度を深めてゆくのである。

 この時期、チャーチルは「ソ連共産主義は、寝ている間に絞め殺さなければならない」として、自由陣営の結束を促した。また、完成間近の原爆を、日本に使うことにも同意していた。

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この日にはこんな出来事も・・・

◉73年前・・・1945(昭和20年) 5月8日
ドイツの降伏に日本政府は・・・。

 首相の鈴木貫太郎は、さすがに動揺を隠せず、直ちに大本営政府連絡会議を召集。
あろうことか、日ソ中立条約の更新破棄を通告してきたソ連を相手に、終戦工作の方策を決定。しかし、本意は、あくまでも本土決戦をも辞さぬ徹底抗戦であった。

 一方、大本営は「ソ連が満州に侵攻してしてきた場合、軍は南に撤退し、国策として入植した満州開拓団の保護を放棄する」決定した。事実そうなり、軍は、同胞開拓団を見捨てる愚を犯すのである。戦後、元関東軍の将校は、「中央の命令に従ったまで」と非を認めずに開き直った。

 もちろん、一般邦人が見捨てられた悲劇は満州にとどまらない。グアム、サイパン、沖縄、南樺太の島々で繰り返し見捨てられて敗戦に至ったのである。

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