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もう一つの真実・・・

歴史の断片(随時更新)









8月の歴史の断片
01 明治政府、朝鮮の内乱に乗じて清国に宣戦布告。
06 午前8時15分、軍都 広島消滅・・・
10 長崎に2発目の原爆。帝国政府、中立国のスイスを介して抗議・・・
15 敗戦。焼跡の霞ヶ関界隈に立ちのぼった公文書焼却の煙・・・。
22 日本降伏から7日目に発令された停戦命令。一触触発の危機も・・・
7月の歴史の断片
01 武力を保持しない平和憲法の下に自衛隊が発足。
07 日中全面戦争に・・・、「撃ったら撃ち返せ」と連隊長が独断命令。
09 浅間山、未曾有の大噴火。天明の大飢饉を招く。
10 「女工哀史」刊行。隷属的な女子労働者の実態を告発。
13 靖国神社、みたままつりで鎮霊社を創建。のちに物議が・・・
16 アメリカ、史上初の原爆実験に成功。日本の命運定まる・・・
20 月面着陸、あらゆる困難を克服した人類史上初の壮挙。
23 海上自衛隊の潜水艦、民間船に衝突。隊員は救助せずに傍観・・・
25 仏印進駐の日本に、アメリカが在米資産凍結の制裁。
27 勝利者なき朝鮮戦争、休戦協定の調印で一応の終止符。
28 対日降伏勧告のポツダム宣言。政府は黙殺、新聞は一笑に・・・
29 作戦行動中の米空母フォレスタルで誘爆。132人死亡の惨事に・・・
30 日本軍の重慶・無差別爆撃、米大使館に至近弾。米砲艦が損傷・・・
31 姑息な明治政府。日露講和に動きながらロシアの樺太を占領。
6月の歴史の断片
01 第一次大戦下の捕虜収容所にこだました本邦初の「第九」。
05 気宇壮大でありすぎたミッドウェイ作戦、主力機動部隊全滅。
06 12カ国の総兵力300万。史上最大の反撃作戦ノルマンディー。
10 無差別爆撃の先例を歴史に刻んだ日本・・・。
11 アメリカで世界初のFM実験放送。普及には様々な障壁が・・・
14 快進撃のドイツ軍、パリに無血入城。日本は仏印侵攻へ・・・
18 下級兵士の宿怨が爆発、復員船で上官に集団暴行。
27 沖縄・久米島の守備隊、島民多数をスパイとみなして殺害。
29 日本、先進国に続けとオリンピックに初参加。結果は惨憺・・・
5月の歴史の断片
01 血のメーデー、安保条約付きの講和に民衆の怒りが暴発・・・
08 ドイツの無条件降伏に連合国陣営は歓呼のるつぼ。
17 九州帝国大医学部、米兵捕虜8人を生体解剖。
22 明治政府、初の海外出兵。台湾西南部に奇襲上陸。
26 初代アメリカ総領事のハリス、幕府を説き伏せ「下田条約」を・・・

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79年前・・・1939(昭和14年) 6月10日
無差別爆撃の先例を歴史に刻んだ日本・・・。

 1937年(昭和12)12月、日本軍が中国(蒋介石国民党)の首都・南京を攻略してから1年、首相の近衛は、中国との和平協議を中国駐在のドイツ大使を仲介に進めてきたが、話が行き詰まると、一方的に協議を中止。日本が中国に突きつけた条件が余りにもひどすぎたのである。

 南京から撤退した蒋介石は、揚子江を遡って武漢に脱出。日本軍が追撃すると、蒋介石はさらに内陸の重慶を暫定首都とした。そこで日本軍は、兵站に無理があるとして陸路の追撃を諦め、陸海軍の爆撃機による渡洋爆撃に戦略を切り替えたのである。

 渡洋爆撃とは、長崎から飛び立った九六式陸上爆撃機が、高度5,300㍍の上空から行うもので、当時の新聞は、その戦果を華々しく報じた。

 但し、これが初めてではない。南京攻略を前に上海・南京の市民を巻き添えに殺傷していた。国際連盟は、日本への非難決議を満場一致で採択したが、すでに国際連盟を脱退していた日本は、この非難決議を公然と無視し続けたのである。

 そして重慶への渡洋爆撃(1938年12月~1943年8月)は、次第に激しさを増し、通常爆弾に加えて焼夷弾が使われた。それは明らかに市民の無差別な殺戮が目的であった。
 その事実を、裏付けてみせたのが、昨年の5月に放映された日本テレビの「NNNドキ
ュメント」である。 防衛省防衛研究所に保管されている陸軍航空本部作成の「航空部隊用法」には、「直接その住民を空襲し、敵国民に多大な恐怖を与え、その戦争意思を挫折させること・・・」とある。それは、渡洋爆撃の実行以前に、軍の方針として決定されていた、という事実を、作成年月日が示していた。

 日本が先例をつくった無差別爆撃は、とりわけ、アメリカの対日観の悪化に油を注いだ。ルーズベルト大統領の側近や閣僚の中には、「東京を火の海にして同じ苦しみを味わせる必要がある」と公言する者も少なくなかった。結果、日本が奇襲で先手を打った太平洋戦争の末期において、日本の主要都市は焦土と化し、2発の原爆によってトドメをさされた。歴史の因果応報とは、まさにこのことである。
この日にはこんな出来事も・・・

◉153年前・・・1865(慶応元年) 6月10日
リヒャルト・ワグナーの楽劇、「トリスタンとイゾルデ」初演。

 全曲の完成から、初演が実現するまで、実に6年を要した。何しろ4時間もの大作である。当時、ワグナーは、莫大な借金を抱え、しかも、革命に加担したことで、ドイツを逃れ、スイスに亡命していた。初演の機会を与えたのは、ワグナーに心酔するバイエルン国王・ルートヴィッヒ2世の全面的な支援によるものである。

 会場は、ミュンヘンのバイエンルン宮廷歌劇場。指揮はワグナー支持者のハンス・フォン・ビュローで、初演の評価は上々であった。 しかし、私生活では、ビュローの妻、コジマとの愛を深め、すでに娘イゾルデをもうけていた・・・。

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