ステレオの産業史 1946〜1957 
日本の戦後復興とHI-Fiへの熱き試み
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The History

ヨーロッパと太平洋の広大な戦線で勝利したアメリカ。
多大な代償を払いながら、かつてない経済成長を引き寄せた。
平和で豊かになったアメリカ国民の購買意欲をかき立てたのが「ラジオ付大型電蓄」。RCA、GE、マグナヴォックス、ゼニスの各社が販売を競い、スピーカーの研究は様ALTEC Boice the Theater A2々な成果を生み出した。

アメリカ映画産業は戦後の黄金期へ。
アルテック・ラシングが、トーキー用のスピーカーシステムとして開発した中で、最も巨大なモデルが写真の「A2」。
これらのシステムに使われた最強ドライバー「288」を開発したのが技術担当副社長のジェームス・B・ラシング。翌年、同社を退き、ジム・ラシング社(JBL)を起業した。

敗戦の荒廃の中から、後のステレオ産業を
牽引する企業が、気概ある創業者たちによって誕生。

05/07:東京通信工業(ソニー)創立。
 録音テープ用磁粉の研究と磁気録音機の試作開発を始める。後に世界ブランド「SONY」に躍進。
9月、大阪電気音響社(オンキョー)創立。
 クリスタルピックアップの生産とスピーカーユニットの研究開発からスタート。
12/21:春日無線電気商会(トリオを経てケンウッドに改称)創立。
 高周波コイルの製造。後にFMはトリオと言われる時代を迎える。

02/01:「Come, come, everybody !」NHK、本邦初となる「英会話教室」の放送を開始。
 (日本放送協会の略称「NHK」は、GHQとその管轄であった民間情報教育局との合意で決められた)

RCA、ボストン交響楽団の生演奏とテープによる再生音のすり替え実験に成功。
音響学者、H・F・オルソン博士をリーダーとするチームが、マサチューセッツ州のタングルウッドで行い、
成功を納めた。ステージにセットされたスピーカーは、RCAの名作「LC1A」が12台。

イギリスの音響学者ウィリアムソン、
アンプの低歪率と広帯域化を飛躍的に向上させる新回路を発表。

従来の常識を覆し、全段に20dBという多量の不帰還をかけて物理的特性の大幅な改善がはかれる新回路。
イギリスやアメリカはもとより、わが国の業界やアマチュアに多大な影響を与えた。

TANNOY FIRST MODELタンノイ、デュアルコンセントリック ユニット
同軸2ウェイの1号機完成。

 創立は1926年。大戦中は軍の通信機器やPAの分野で優れた技術を蓄えた。同軸2ウェイは、すでにアルテックの「604」が評価を高めていたが、タンノイはより合理的な構造でこれを完成。1号機の量産モデルは、レンジの広さが評価され、デッカの高音質SPレコードのプレイバック・モニターに採用された。
この年発売のデッカの高音質SP(ffrr=Full Frequency Range Recording)は、ドイツのUボートを策敵するソナー探知の技術から生まれた。
JBL D130 & 175DLH
アルテックを退いたジェームス・B・ラシング、
ジム・ラシング(JBL)を起業。

ラシングは起業することで、新たな独創性を発揮した。まず、ジュラルミンのセンタードーム付きフルレンジユニット(わが国のユニットに与えた影響は計り知れない)。次いで同系のウーファー、ホーンドライバー、エンクロージャー、ネットワークなどを送りだした。
しかし、起業から2年、目的半ばで自ら命を絶った。その真意は謎とされる。代表となったウィリアム・H・トーマスと主任エンジニアのビル・ハーツフィールドは、ラシングの意志を継ぎ、数々の名作ユニットと歴史に残るシステムを送りだし、JBLをラウドスピーカーのトップの座へと押し上げた。

JENSEN G610ジェンセン、38cm3ウェイ同軸の
最強ユニット「G610」を発表。

創立は1920年代。天才エンジニアのピーター・ジャンセンが起業。アルテックと共にウェストレックスにトーキー用のユニットを供給してきた。その技術を背景に開発されたのが、3ウェイコアキシャルの名作「G610」。アルテックやタンノイのコアキシャルとは、別格の強力ユニットで、鳴らし方が極めて難しいとされたが、巧く鳴らし込んだときの音は絶品という伝説を生んだ。

NHK初のモニターユニットNHKが初めて採用したわが国初のモニターユニット。
かの有名な三菱ダイヤトーン「P-610」の前身モデル。戦後間もない時代で物資がなく、マッゲネットには、旧陸軍の放出物資が使用されたという。それでも、広帯域特性が評価され、NHKが採用したわが国初のモニターユニットとなった。また、ダイヤトーンの商標でラジオにも広く使用された。
サンスイ電気創立。
各種トランスとチョークコイルの製造からスタート。後に組み格子のスピーカーと
ブラックパネルの先鞭を着けたアンプは一世を風靡。

07/12:藤原歌劇団、ワグナーの「タンホイザー」初演。
米軍の進駐でジャズブーム。そんな中「スィングジャーナル」誌創刊。2010年に休刊。

LP(モノラル)時代の幕開け。LPはジャケットアートを生み出した
これまでのSPレコードは、78回転で片面の再生時間は5分ほど。しかも、落とせば割れてしまう代物であ
った。それが、LP(Long Play)レコードでは、回転数33回転。片面30分の再生が可能になり、材質は塩化ビニールで雑音が少なく、音楽をよりHi-Fiで再生できるようになった。この画期的なLPの発明者は、CBSコロムビアの技術者、ピータ・C・ゴールドマークで、熱心なクラシックファンでもあった。まさに「必要は発明の母」だったのである。

一方、時を同じくしてRCAは、EP(Extended Play)レコードを発表。直径は17.5センチと小さく、回転数は45回転と早い。これが、LPとのフォーマット対決に持ち込まれた。しかし、幸いなことに材質が同じ、音溝も同じということで、両社が歩み寄りLPとEPの共存が実現した。EPはドーナツ盤の名前でも親しまれ、シングルヒットのシンボルになり、ジュークボックのニーズも急激な高まりを見せた。

フェアチャイルドのMC型LP(モノラル)時代の名作カートリッジ。
GEのVR型やピッカリングのMI型が挙げられる。中でもフェアチャイルド社の200シリーズMC型が最も高い評価を得ていた。それを裏付けるように、NHK技研と日本電気音響(現デノン)は、それを基に局用カートリッジを2年後に完成させた。

アメリカの個体物理学者、真空管に変わる新しい素子、トランジスターを発明。
ウェストレックスの個体物理学者、ウイリアム・ショックレイが研究スタッフ3人と連名で
トランジスターの発明を発表。10年後の1958年ノーベル物理学賞を受賞。

10/18:日響(N響の前身)、ブルックナーの「交響曲第5番」を日本初演。

アメリカの第1回オーディオフェア、ニューヨークで開催。
LPレコードという新たなハイファイ・ソースの出現によって、ビジネス誌「フォーチュン」は、「ハイファイ時代来たる」の特集を組み、アメリカユーザーのオーディオ意識を駆り立てた。

02/14:日響(N響の前身)、ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」を日本初演。
 12月にはマーラーの「千人の交響曲」日本初演。
11/03:湯川秀樹に日本人初のノーベル物理学賞受賞。
戦争で中断の芥川賞と直木賞が復活。
 芥川賞=小谷剛「確証」、由起しげ子「本の話」、井上靖「闘牛」
 直木賞=富田常雄「面」、「刺青」、山田克郎「海の廃園」

二方式で争っていたステレオレコード規格、45 / 45方式に決定
19年前、EMIの録音エンジニア、アランブルラインが特許を取得した45/45方式と、デッカV-L方式の規格争いは、RIAA(米レコード工業会)によって、モノラルとの互換性がある45/45方式に決定。しかし周辺技術の完成を待たねばならず、ステレオレコードの誕生には、あと8年を要した。

モノラル時代のデンオンMCカートリッジPUC-3NHK技研とデノン、局用のモノラルMCカートリッジを完成。
この「PUC-3」の原理構造は、フェアチャイルドのMC型とまったく同じ。ただ、NHK技研との基礎研究を基に開発されただけあって、特性と音質は、国産カートリッジの中でもトップに位置づけられた。

パイオニアの記念碑的モデルPE-8パイオニア、NHK技研の協力で
HiFi用20cmフルレンジユニット「PE-8」を発売。

NHKの豊富なノウハウを採り入れて、パイオニアの生産技術力を示した記念碑的モデル。当時の材料事情を考えれば貴重なアルミボイスコイルを採用するなど、業界からも注目された。とはいえ、戦後間もない食糧難の時代、一般市販品として一本5,700円は、極めて高価なものであった。

06/25:朝鮮戦争勃発。
07/:東京京通信工業(ソニー)、わが国初のテープレコーダー発売(商標はテープコーダー)。
進駐軍放送から流れるボーカル曲が日本でもヒット。ドリス・デイの「AGAIN」
 ナット・キング・コールの「MONA LIISA」など。

わが国初のLPレコード(ベートーヴェンの第九)2,800円で発売。
日本コロムビアがアメリカCBSからメタルマザーを輸入して国内プレスしたもの。 しかし、それを再生する市販の国産プレーヤーには満足すべきものが少なかった。

アメリカの人気歌手、ビング・クロスビーが自らの会社でVTRの実験。これは世界初の試み。
 のちに、アンペックスに資本を提供しVTRの開発を委託。
04/16:朝鮮戦争の作戦遂行を巡り解任された連合軍最高司令官マッカーサー元帥、日本を離日。
 別れを惜しむ国民20万人が沿道を埋めて見送る。
08/01:財政危機の日響(日本交響楽団)、NHKの支援で「NHK交響楽団」と改称。
10/20:アメリカ親善大使として来日したヴァイオリニストの巨匠メニューイン、N響と共演。
敗戦国の日本映画が国際的に高い評価。黒澤明監督の「羅生門」がベネチア国際映画祭グランプリと
 アカデミー賞の特別賞を受賞。翌年からは3年連続で溝口健二監督の3作品がベネチア国際映画祭で
 次の各賞を受賞。国際賞「西鶴一代女」、銀獅子賞「雨月物語」、銀獅子賞「山椒大夫」

アメリカの豊かさの象徴アメリカの豊かさの象徴。
LPレコードの登場で華開いたコーナーホーンの
大型システム。

この分野で先鞭を着けたのは、設計者自らの名を冠したクリプッシュホーンとエレクトロボイス社のパトリが有名。翌年に登場するタンノイ・オートグラフも、クリプ
ッシュホーンのパテントを使用して完成された。以降、JBLのハーツフィールドの登場で、アメリカの大型システムは、絢爛たる黄金期を迎える。

東京通信工業(ソニー)創立者、
井深大が初の訪米視察で驚きのステレオ体験。

デモ用のバイノーラル(ステレオ録音の一種でダミーヘッドに組み込んだマイクで音を記録しヘッドホンで聴く)レコードを聴いた井深氏は、立体音の素晴らしさに驚嘆。帰国後、N響の協力を得て、演奏を初めてステレオ録音するなど、様々な実験を試みた。

昭和光音工業(スタックス)、わが国初のモノラル
コンデンサーカートリッジと専用アーム。

二つの金属板を向かい合わせるとコンデンサーになり、その一方に針を取り付けて動かすとコンデンサーの容量が変化して静電気が生じる。この原理を日本で最初に実用化したのがスタックス。10〜20gの針圧が普通であった時代に、針圧1g、しかも20〜18,000Hz9+ー2dB0という驚異的な特性を実現した。しかし、デザインはアメリカのウェザース社のものと瓜二つ。当時は真似することに、さほどの罪悪感はなかったのであろう。 
第1回日本オーディオフェアに出展。

日本オーディオ協会発足。
10月4日、文学者、中島健蔵氏と東京通信工業(ソニー)社長、井深大によって創設。12月開催の第一回日本オーディオフェアでは、NHKの協力で中波2局によるステレオ放送の公開実験が行われた。

NHK、ラジオ第一と第二放送の電波を使い、わが国初のステレオ放送。
12月20日、深夜の放送にも関わらずステレオ放送は、大きな反響を呼んだ。翌年には「立体音楽堂」のタイトルて定時番組がスタート。10年の長きに渡って親しまれた。なお、初期のステレオ放送に使われたテープレコーダーは、東京通信工業(ソニー)がステレオ用に改造したもの。

04/08:対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)施行。主権国家日本の再出発。
08/06 :発禁解除のヒロシマ被爆写真を「アサヒグラフ」が特集。52万部が即日で完売。
ネオン街のあちこちにサントリーの「トリスバー」が出現。
 そのモットーは、女性が客につかないこと、酒とオツマミの値段が適正なことであった。
オートグラフの初期モデルタンノイ、アメリカのオーディオフェアに
新開発の「オートグラフ」を出展。

搭載ユニットは同年に誕生した「Monitor Siver」。ホーン構造は、後のモデルと同一だが、アンティーク調のデコラティブなデザインが目を惹く。
LIFE誌が絶賛した究極のスピーカー
LIFE誌が、JBL「ハーツフィールド」
を究極のスピーカーと絶賛。

JBLの創業時からプロダクツ・デザインを手掛けてきたビル・ハーツフィールドの手になる名品。
38cmウーファーをドライバーとして使用したフロントローディングホーと、最強ドライバー「375」のエネルギーを、ゴールドウイングのスラントプレートが拡散する。その組み合わせで得られるアメリカン・サウンドは、大型スピーカー黄金期の風格を持つ。同年、河村電機研究所によって逸早く輸入され、第2回日本オーディオフェアにその姿を見せた。
ALTEC A7
アルテック、シネマスコープ映画第一作の公開に合わせて、
4ch・サウンドトラック・システムを完成。

スピーカー部は、映画技術アカデミーが、「ワールド・スタンダード」の承認を与えたシリーズモデルの「A7」。その第一作の作品「聖衣」の本邦公開は12月、日比谷の「有楽座」でロードショー公開された。

日本ビクター(JVC)
レコード製造の全工程を国産化。

マスターとなるテープからレコード原盤へのカッティングは、微弱な振動も許されないとあって、作業はクルマの途絶えた深夜に行われた。ただ、全行程国産化とは言っても、レコード材料の塩化ビニールは輸入であった。

ソニー、トランジスターの特許を持つウェストレックスと、製造に関する技術援助契約締結。
これで、ソニーの半導体研究と半導体製造設備の計画がスタート。翌年には、トランジスターの小型テープレコーダーとポータブルラジオの試作機を発表。

日本ビクター(JVC)社長に日米開戦時の駐米大使、野村吉三郎が就任。
敗戦で公職追放の野村吉三郎を、同郷の松下電器(パナソニック)社長、松下幸之助氏が、日本ビクターに推挙したもの。これにより、大戦で途絶えていたRCAと技術支援契約を結び、日本ビクターの再建に道を拓いた。

国産初のテレビ、早川電気工業(シャープ)が175,000円で発売(当時の公務員給与は月額7,650円)。
02/01:テレビ元年。NHKがテレビの本放送を開始。視聴契約数866件。
 8月には民放の日本テレビ(NTV)も開局。
07/02:貨物船で渡仏した24歳の小澤征爾、同国のブサンソン国際指揮者コンクールで優勝。
07/27:朝鮮戦争の休戦協定成立。

日本ビクター(JVC)、松下電気(パナソニック)の資本傘下に。
東京芝浦電気(東芝)傘下の日本ビクターは、大戦の痛手で
債務が巨額化。
当時の松下電器社長、松下幸之助氏は、東京芝浦電気に働きかけ、松下電器の傘下とした。
ビクターのステレオトーキーシステム
日本ビクター(JVC)、シネマスコープ用の
ステレオトーキーシステム(VICTOR PHOTOHONE)発表。

発表から4年余りで、東京の主要劇場と各映画会社の試写室に納入された。また、光学録音によるノイズ軽減装置や、劇場の音響環境に合わせて、台詞をより明瞭に再生する周波数補正フィルター装置も実用化された。

GARRARD 301レコードを回転させる
シンプル機構の重要性を工作精度の
高さで実証したガラードの
「Model 301」。

登場してまもなく、英国BBC放送局が採用。わが国においても優れた操作性と、機能美に優れたデザインは、プロからもマニアからも高い評価と信頼を獲得した。ステレオの時代を迎えると新型モデルが登場したが、かえって「301」の評価が高まっt。
ロングランユニット8PW1
松下電器(パナソニック)、通称ゲンコツの名で親しまれた
20cmフルレンジユニット「8PW1」。

中央のイコライザー球は音の位相差を矯正し、楕円のコルゲーションは、定在波を減少させる。海外にはパナソニックのブランドで輸出され、30年近くに渡って現役モデルであり続けた。(¥3,900)

低音革命をもたらしたAR3AR(アコースティック・リサーチ)、
低音革命をもたらしたブックシェルフ・スピーカー「AR3」。

この年のアメリカ・オーディオフェアに初めて登場。小型の箱では十分な低音が再生できない、というこれまでの常識を一変に覆した。
なお、「AR3」が俄に脚光を浴びたのは、ステレオの時代を迎えてからで、スペースファクターが断然有利なうえに、世界初のドーム型ユニットの広い指向特性がステレオ再生に適していた。
唯一の弱点はハイパワーのアンプが必要なこと。わが国に輸入されたのは1959年頃。以後、トランジスターのハイパワーアンプも続々と現れ、スピーカーシステムの主流となった。

アメリカでカラーテレビの放送開始。
04/06:ヘルベルト・フォン・カラヤン、N響を指揮するために初来日。
04/26:黒澤明監督の「七人の侍」公開。ヴェネチア国際映画祭で「サンマルコ銀獅子賞」受賞。
09/26:平時の海難事故としてはタイタニックに次ぐ大惨事。旧国鉄の青函連絡船「洞爺丸」3898トン
 は、台風接近の予報をおして青森港を出航。操舵不能に陥り沈没。死者行方不明は1155名にのぼった。
モータリゼーションの幕開け。第一回全日本モーターショー開催。

Victor LA SYETEM日本ビクター(JVC)、
コンポーネントシステムで、ダンス
ホールや名曲喫茶の需要に応える。
徐々に普及したLPレコードではあったが、大卒初任給1万円の時代に1枚2300円はやはり高かった。そこで生まれた新手の商売が、Hi-Fi装置で客を呼ぶダンスホールや名曲喫茶。日本ビクターは、LA (ロングプレイング・オーディオラ)と名付けたコンポーネントシステムをシリーズで投入し、その需要に応えて評価を高めた。
LA-2/システム一式(¥142,000)Victor RP-40

日本ビクター(JVC)、業務用レコードプレーヤー。

フローティングされプレーヤーボードに、ピッカリングを模したピックアップが使用されている。傾斜した前面に、コントロールアンプ収納の開口部が設けられている。

ソニー初期のプレーヤシステム東京通信工業(ソニー)、アームと一体型の
モノラル・コンデンサー型カートリッジと
プリアンプを公開試聴会で発表。

公開試聴会は、創業者・井深大の陣頭指揮で行なわれ、カートリッジの音質比較に、米・フェアチャイルド社のMCカートリッジ(当時、最も優秀とされていた)が使われた。しかし、どちらに軍配があがったかの記録は残されていない。
のちに、そのピックアップとアンプ(出力6W)を搭載したレコードプレーヤーを発売(¥87,000)。このケースにスピーカを取り付ければ電蓄になった。

皇族の三笠宮両殿下と高松宮両殿下が
東京通信工業(ソニー)のステレオ試聴室を訪問。

ステレオの話題を耳にされた両殿下は、その体験を所望。テープに録音された、音楽や効果音の立体音に大変驚かれ、強い関心を示されたという。

LPレコードの録音特性を補正する
イコライザーカーブが「RIAA」規格に統一。

欧米レコード会社が独自に設定していたイコライザーカーブが、LPレコードの登場から7年目にして、アメリカの「RIAA」規格一本に統一された。

01/05:3台の映写機で上映する超ワイドスクリーンと6トラックのステレオ音響の
 シネラマ映画、本邦初公開。東京は帝国劇場、大阪はOS劇場。
「トッドAO」方式(6chのサウンドトラックと70mmフィルムによる映写システム)の第一作、
 ミュージカル映画「オクラホマ」公開。本邦公開は翌年、シネマスコープ版で上映された。
東芝の澤崎博士、ビデオに不可欠な高度技術、ヘリカルスキャン(螺旋走査)方式を発明。
09/29:NHK放送事業30周年を記念した第1回イラリアオペラ1ヶ月のロングラン公演。
 後に、世界三大テナーと言われる、パヴァロッティ、カレーラス、ドミンゴがこの公演で初来日。
石原慎太郎の短編「太陽の季節」が芥川賞受賞。無秩序な若者、いわゆる太陽族が時のヒーローに。

日本ビクター(JVC)、45/45方式よるステレオレコードの開発を独自にスタート。
テープによるステレオの録音再生は、すでに東京通信工業(ソニー)が実用化していたが、ステレオレコードの開発は日本ビクターによって、アメリカとほぼ同時に始まり、2年後に発売された。

メーカー各社、FMチューナーの研究開発をスタート。
中波は、帯域の狭さ、雑音、放送局間の混信等の問題でHi-Fiの時代に向かない。そこで、FM先進国アメリカへの輸出攻勢という戦略もからみ、国内の放送認可を見越してFMチューナーの開発が各社で始まった。

アメリカのアンペックス、世界初のVTRを発表。
02/06:新潮社が初の週刊誌「週刊新潮」を創刊。
評論家、大宅壮一が「一億総白痴化」とテレビ文化を酷評。

Westrex Stereo Cartridge 10Aウェストレックス、LPのステレオ化に向け、
45/45方式のカッティングヘッドとカートリッジを開発。Westrex10Aの構造図
世界初のステレオレコードの
誕生となる。

ウェストレックス10Aは、カッテ
ィングされたラッカー盤の検聴用として開発されたMCカートリッジ。一般には入手困難であったが、後に登場したドイツの「ノイマン」と並び、長いこと、他の追従を許さぬ優れた音質を保持した。これ以降、ヨーロッパのV-L方式と併存するかたちで、ステレオレコードの道が拓かれた。

JBLパラゴンステレオスピーカーの
最高傑作、JBLパラゴン。

理にかなったステレオフォニックな音場再現を、これほど見事に造形化したものは他に類がない。かつて、ワシントンのホワイトハウスでも鳴らされていたとか。

大阪音響(オンキョー)、東芝と資本提携。東芝との提携関係は36年続いた。
10/04:ソ連、人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。
11/03:ヘルベルト・フォン・カラヤン、手兵のベルリンフィルを率いて初来日。
 22日、N響との合同演奏会開催。
12/24:NHK、FM実験放送開始。
アメリカのテレビ普及所帯が95%を超え、ハリウッドの映画産業を不況に追いやる。

The Year

1946
昭和21年






















1947
昭和22年




















































1948
昭和23年

























1949
昭和24年









1950
昭和25年





















1951
昭和26年












1952
昭和27年





































1953
昭和28年









































1954
昭和29年










































1955
昭和30年















































1956
昭和31年










1957
昭和32年

























INDEX

1881〜1945
立体音の発見と
二つの源流

1946〜1957
日本の戦後復興と
Hi-Fiへの熱き試み

1958〜1965
幕を開けた
ステレオの時代

1966〜1970
開花する日本の
独創技術

1971〜1980
4チャンネル騒動と
成熟の頂きに立った
コンポーネント

1981〜1990
AV時代の到来と
CDの登場
INDEX

*国内ブランド
ACCUPHASE
AUDIO TECHNICACORAL
DENON
DIATONE
EROICA & UESUGI
FOSTEX
GRACE
LIVING AUDIO
Lo-D
LUXONKYO
PIONEER & EXCLUSIVESANSUI
SONYSTAXTECHNICS
TRIO & KENWOOD
VICTOR (JVC)YAMAHA

アンサンブルステレオと
セパレートステレオ


*海外ブランド 
ALTECAR
GOODMANSJBL
JORDAN WATTSMARANTZ
MclNTOSH
ORTOFON
SMETANNOY




 

























 

 





















































 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




















 















































































































































































































 

 
























































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*国内ブランド|ACCUPHASEAUDIO TECHNICACORALDENON
DIATONEEROICA & UESUGIFOSTEXGRACELIVING AUDIOLO-D
LUXONKYOPIONEER & EXCLUSIVESANSUISONYSTAXTECHNICSTRIO & KENWOODVICTOR (JVC)YAMAHA
 |アンサンブルステレオとセパレートステレオ
*海外ブランド|ALTECARGOODMANSJBLJORDAN WATTSMARANTZMclNTOSH
ORTOFONSMETANNOY

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