ステレオの産業史 1881〜1945
立体音の発見と二つの源流(蓄音機&トーキー)
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Stereo History Memories

発見や発明は、ときとして偶然が味方する。
立体音(ステレオ)の発見も、ある偶然の行為がもたらした。

 発明王エジソンが円筒式録音機(フォノグラフ)を発明して4年、パリ電気博のパビリオンには、オペラ座の舞台にセットされた複数のマイクロフォンが電話回線で繋がれていた。
 パビリオンの来場者は、片方の耳にレシーバーを押し当て聴き入っている。すると一人の紳士が、突如驚きの声をあげた。偶然にも、二つのレシーバーを両耳に当てて聴いた紳士の頭の中には、あたかも舞台にいるかの如く、ありありと音が動き、広がって聴こえたのである。これが立体音の発見であった。
 彼は回りの人たちにも、二つのレシーバーで聴くことを勧め、その驚きの効果を確かめあったという。 この出来事は、早速、通信技術の最先端を行くアメリカのベル研究所にもたらされた。ここに立体音の研究が本格的にスタートすることになった。
 ベル研究所の研究成果は、グループのWE(ウエスタン・エレクトリック)社で実現され、映画のトーキー、ハイフィディリティ、そしてステレオの世界へと進化を遂げてゆくのであります。

円盤式レコードを発明したエミール・ベルリナー円盤式レコードを発明したエミール・ベルリナー、
蓄音機「グラモフォン」の特許を取得。
エジソンの円筒式フォノグラフと史上初のフォーマット対決に発展

 エミール・ベルリナーは、ベル研究所の優秀な研究員で後に独立。エジソンが発明した円筒式フォノグラムの後塵を拝して円盤式レコードを発明。それを再生する蓄音機「グラモンフォン」を開発して特許を取得した。
 この10年後、ベルリナーの円盤式レコードと、エジソンの円筒式フォノグラフは、史上初のフォーマット対決となり、円盤式の複製の容易さ、さらには、両面再生ができるようになったことで、円盤式の完全勝利で決着した。
ここに、本格的なレコード産業の展望が開かれることになった。

非難嗷嗷! 初代総理大臣の伊藤博文、首相官邸でサルまねの仮装舞踏会。
東京市で電気の配電開始。
エジソン、キネトスコープ(映画の元祖で、小さな窓から覗いて見る)を発明。
 2年後、フランスのリュミエール兄弟がスクリーンに映し出す映画、シネマトグラフを開発。

08/01:日清戦争開戦。名目は朝鮮における清国の勢力排除。翌年4月、清国の降服で講和。
 台湾は日本領土になり、巨額の賠償金は、軍備拡大、国家近代化への財源となった。
グラモンフォンの商品広告
フォーマット対決でエジソンに勝利したベルリナー、
円盤式の蓄音機製造販売会社「グラモフォン」を設立。

 グラモフォンのトレードマークに使われたのは、無名の画家、フランシス・バローの描いた、蓄音機の前で主人の声(His Master's Voice)を聴く絵。
のちに世界中に広まることになる。そのキャッチコピ
ーの頭文字、HMVの名でも親しまれた。
 創立から2年後には、ヨーロッパに進出して英グラモフォンを設立。さらに、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア、ロシアへと支社を広げていった。

01/:樋口一葉(24)、「たけくらべ」で文壇デビュー。森鴎外が賞賛。
11/05:幸田延(26)、日本人初の音楽留学(ボストン1年、ウィーン5年)を終えて帰国。
 翌年、東京音楽学校(芸大)の教授に就任。
ベルリナー、ビクタートーキングマシンを設立。
蓄音機の改良を成功させた「グラモフォン」の技術者、エルドリック・ジョンソンが抜擢されて設立。
レコード吹込みと蓄音機の製造を開始。 昭和2年には、同社の全額出資で日本ビクター蓄音機を設立。
ビクタートーキングマシン、日本で初のレコード吹込み。
日本に派遣されたアメリカ技術者が、勧進帳などの鳴物を吹込み話題となる。

02/08:日露戦争開戦。日本、宣戦布告なく旅順港沖のロシア艦隊を奇襲。
 翌年、旅順陥落、日本海海戦の勝利を経て、同年9月、アメリカの仲介で講和。

ビクタートーキングマシン、蓄音器「ビクトロラ」のシリーズモデルを発売。
構造は、ピックアップの拾った音を木製キャビントに組み込まれたホーンで増幅する仕組み。卓上型から大型のモデルがラインナップされ、アメリカの一般家庭にも着実に浸透していった。

アメリカの科学者、リー・ド・フォーレが3極管を発明。
これにより、小さな電圧を大きな電流に変える増幅作用の働きが、後に実用化される。

10/26:伊藤博文(69)、中国黒竜江省のハルビン駅で朝鮮人抗日運動家の凶弾で死亡。


日本蓄音器商会(日本コロムビア)創立
日本初のレコード会社。2年後に日本蓄音器製造と合併。昭和21年に日本コロムビアに改称された。
昭和の戦後期には、歌謡界のスター歌手を一堂に擁するなど、ソフトとハードの両面で
日本ビクター(JVC)、東芝の両社と覇を競った。

04/14:イギリスの豪華客船タイタニック号、処女航海中に氷山と接触して沈没。
07/29:明治天皇(60)崩御。アジアの小国から、西洋列強と肩を並べた時代の大きな区切り。

07/28:第一次世界大戦勃発。大量殺戮の近代兵器が投入された4年に渡る総力戦。
 この大戦で電気通信技術が急速に進歩。日本は連合国として開戦1ヶ月後にドイツに宣戦布告。
作曲家の山田耕筰、日本初の民間オーケストラ「東京フィルハーモニー」を結成。
 翌年、財界からの援助を絶たれて解散。

東京電気(東芝)、わが国初の3極管を完成。
東京電気の前身である白熱舎が、
日本初となる白熱電球の製造技術を活かして完成させた。
ビクタートーキングマシン、初のジャズレコードを録音発売。
ニューオーリンズ出身の白人プレーヤーで結成されたステインズ・ディキシーランド・ジャズ・バンドで、1枚のレコードに2曲を収録して発売。これがヒットとなった。

ロシア革命。革命政権の誕生から5年後の1922年、史上初の社会主義国家樹立。

3極管 VT-1とVT2WE(ウエスタン・エレクトリック)、3極管の製造を事業化。
VT-1(検波・増幅用)とVT-2(送信機用)の3極管が実用化されたことで、3年後、アメリカでラジオ放送が始まり、Hi-Fiアンプの歴史もこれを起源に幕を開ける。
以降、ゼネラル・エレクトリック、RCA、ウェスティング・ハウス、フィリップスの各社から多くの真空管が開発された。

松下電気器具製作所(パナソニック)創立。
創業者、松下幸之助が3月に設立。12年後の1930年にはラジオの製造、
その2年後にはスピーカー、フォノモーターの製造を開始する。

06/01:べートーヴェンの第九交響曲、日本初演。第一次大戦で日本軍が捕虜にしたドイツ人によって
 徳島県鳴門市の板東俘虜収容所で演奏された。

RCA(Radio Corporation of America)設立。
GE(ゼネラルエレクトリック)から分離独立。1926年にはラジオ局「NBC」を設立。
映画のトーキーシステムでは、WE(ウエスタンエレクトリック)と勢力を二分することになる。

東京電気(東芝)、わが国初のラジオ放送用の送信管を完成。
第一次世界大戦によって、欧米の真空管技術は格段に向上。わが国でも国防上の重要な産業に
発展してゆく。 2年後、東京放送局(NHK)がラジオの実験放送を開始。

01/16:アメリカ、禁酒法を施行。飲酒はキリスト信仰者によってサタンの仕業とされたが、密造酒をビ ジネスとするマフィアが横行。13年後、フランクリン・ルーズベルト大統領によって廃止された。

0303:皇太子裕仁親王(昭和天皇)、皇室史上初の外遊。半年に渡りイギリスをはじめ4カ国を歴訪。
11/:アメリカのピッツバーグ放送局、世界初のラジオ放送を開始。
東京電気(東芝)、マツダのブランドで三極管「UV-199」を発売。
マツダの真空管は、トランジスターの時代となるまで、業界トップの座にあり続けた。

09/01:関東大地震。正午直前、関東一円と静岡県東部をマグニチュード7の激震が襲う。
 死者行方不明者10万5千人余。この災害でラジオ放送への期待が一気に高まった。
わが国最初の技術専門誌「無線と実験」創刊。
文字通り、実験を主体とした内容で、発行元は東京医学電気。後に成文堂新光社の発行となる。
わが国初のラジオ実験放送開始。
3月1日、東京放送局が「JOAK」のコールサインで実験放送を始めた。
翌年8月には、東京、名古屋、大阪の3局が合同し、社団法人日本放送協会(NHK)を設立。

ビクタートーキングマシンが社運を賭けた蓄音器の至宝、「クレデンザ」を発売。
巧妙なエキスポネンシャル・ホーン(半世紀前、イギリスの科学者が発表)の奏でる美音は伝説となる。わが国には翌年、銀座の十字屋楽器店によって輸入された。邦貨で1,080円(現代の貨幣価値で約200万)。

WE(ウェスタン・エレクトリック)、電気録音を実用化。
これまでのアコースティック録音の周波数特性が250〜2,500Hzだったのに比べ、
電気録音では、一気に50〜6,000Hzに広がり、電蓄とトーキーの世界に新たな可能性をもたらした。

GE(ゼネラル・エレクトリック)の技術者二人、
コーン型ダイナミックスピーカーの実用化に成功。

特許を取得した技術者の名前をとって「ライスとケロッグのスピーカー」と呼ばれる。現代のスピーカーは、この基本原理を変えることなく、振動板と磁気回路のたゆまぬ改良によって進化を遂げた。

錦水堂ラジオ部(ラックス)が大阪瓦町に開店。
欧米の文明に深く傾倒していた早川源次が同年6月に創業。10月には日本初のラジオ技術の解説本「ラジオブック」を創刊して無料で配布。翌年には、オリジナル商品として高周波チューナーを発売。

3月、財閥からの資金を絶たれた作曲家の山田耕筰、新たに日本交響楽協会を設立。

音楽と効果音入りの映画「ドン・ファン」、ニューヨークのワーナー劇場で公開。
トーキーの歴史は、ジョン・バリモア主演のこの作品で幕をあけた。録音と再生方式は、ウエスタン・エレクトリック開発のディスク式トーキーシステムで、ワーナーが出資。

09/08:日本交響楽協会の指揮者、近衛秀麿と主な楽員が協会を離脱。
 N響の前身となる「新交響楽団」を結成。11月にはラジオで演奏が放送された。
12/:高柳健次郎、世界で初めてテレビの伝送受信に成功。
12/25:大正天皇(47)`崩御

ビクター蓄音器株式会社(JVC)設立。
ビクタートーキングマシンの全額出資により9月13日設立。経営陣と主要技術者は、
アメリカから派遣された。3年後の1930年、東洋一の横浜工場を竣工。

台詞と音声を同調させた初のトーキー映画「ジャズシンガー」公開。
ショービジネスで成功する歌手をアル・ジョルスンが熱演。「You ain't heard nothin' yet !」(お楽しみはこれからだ!)の名台詞を残した。録音と再生方式は「ドン・ファン}と同じヴァイタフォン。

05/21:チャールズ・リンドバーグ、初の大西洋単独無着陸飛行に成功。

WE-555 / WE-15WE(ウエスタン・エレクトリック)、
トーキー用として「WE-555型ドライバー」と
「WE-15型ホーン」を実用化。

10Wにも満たないパワーで、このドライバーとホーンは、劇場の観客を満足させる音を出した。ホーンの開口部は人間の身長を優に超える。これらのモデル、数少ないコレクターによって今も健在。

東京電気(東芝)、ラジオ用にわが国初の交流用真空管を発売。

これまでの放送受信は、安価な鉱石ラジオか無線が主流。交流用真空管のラジオによって、
電灯線に繋ぐだけの手軽さで、より良質な音が得られるようになった。

11/06:昭和天皇(27)即位式、日本初のラジオ実況中継は、朝鮮や台湾を含む日本全土で放送された。
10/28:新交響楽団(N響の前身)、マーラの「巨人」を初演。
アメリカ映画のトーキー化加速。映画産業は巨大ビジネスとなり、
ラウドスピーカーのプロダクツビジネスが一気に躍進。

あらゆるオーディオ技術の基盤となったのは映画である。トーキーシステムは、数年でディスク方式から光学式へと進化し、もはや、無声映画で観客を呼ぶことはできなくなった。
映画会社各社は、全米の劇場にトーキーシステムの設置を急ぎ、WEとRCAの両社には、金の糸目をつけずに増産と新たな技術開発を促した。 こうした中、すでに創業していたジェンセン、また、WEの販売技術部門からスタートした新興のアルテックなどが、ラウドスピーカーの需要拡大に応えた。

アメリカの巨大電気グループ「RCA」、ビクタートーキングマシンを買収。
レコードビジネスにも参入して、RCAビクターを設立。実力シンガー発掘して、
自社のNBCラジオで放送し、レコードをヒットさせる手法を編み出した。

新装なった有楽町の邦楽座(丸の内ピカデリー)、「WE」のトーキーシステムを日本で初めて導入。
 第一回上映作品はパラマウント映画「レッド・スキン」。
ビクター蓄音器(JVC)の親会社がRCAになったことで、同社は、RCAのトーキーシステム
 「フォトフォン」の輸入代行と劇場へのセールスを開始。
10/24:魔の木曜日。ニューヨークの証券取引所で株価が暴落。その深刻な影響は世界に波及。
10/28:新交響楽団(N響の前身)、マーラの「交響曲第4番」を初演。

日本放送協会(NHK)、放送技術研究所を発足。
この頃、アメリカのラジオ放送局は、すでに500局を超えていた。日本放送協会の前身である中央放送局はWEの機器を導入していたが、ゆくゆくは国産化をはかろうと、民間企業と共同で、放送機器の開発を行う研究所を発足。後にオーディオ史に名を記すスピーカーやデジタル録音技術はここから生まれた。

RCA、世界初の電気式蓄音器「電蓄」を発売。
RCA傘下になった日本ビクター蓄音器(JVC)、東洋一の規模を誇る横浜工場竣工。
05/28:新交響楽団(N響の前身)、マーラの「交響曲第4番」を世界初録音。

世界最大のレコードレーベル「EMI」、イギリスに誕生。
これまで、ライバルの関係にあった、英コロムビアと英グラモンフォン(円盤レコードの発明者ベルリナーが設立)が手を結び合併したもの。 こうして生まれた世界のレーベルは、この年、120人編成のオーケストラを収容できる録音スタジオ「アビーロード」を完成させた。

EMIの録音エンジニア、アラン・ブルムラインが
ステレオレコードの録音再生技術「45/45方式」の特許を取得。

当時はLPも発明されておらず、周辺技術も未熟で実用化されることはなかったが、26年後の1957年、ブライムの偉大なる発明は、ステレオLPレコードとして結実する。

松下電機のラジオ第一号松下電器(パナソニック)製造のラジオ一号機、
東京放送(NHK)の懸賞付ラジオコンクールで一位優勝。

優勝ラジオ(3球再生付)には、「当選号」の愛称が付けられて、
松下電機の本格的なラジオ生産が始まった。

05/01:ニューヨークのエンパイヤーステイトビルが完成。
 42年間、世界一の高さ(443.2m)を誇る。

03/01:日本の傀儡国家「満州国」建国。清朝最後の皇帝「溥儀」が執政に就任。
05/01:昭和維新を掲げる海軍の青年将校ら、首相の犬養毅を殺害。
史上初のステレオ公開実験。フィラデルフィアのコンサートホールと
首都ワシントンを電話回線で結んで行った。

ベル研究所の錚々たる研究者チームによって行われたステレオ公開実験には、3本のマイクロフォン、
3台のアンプ、3台のスピーカーが使用された。この実験の成功は音響工学発展の試金石となる。

ウィーン国立音楽院で学んだピアニスト井上園子(18歳)、
 日本人初のウィーン国際音楽コンクールに入選。特別にディプロマ(免状)が贈られた。
01/30:アドルフ・ヒトラー、民主選挙で首相に任命され、ドイツにナチス政権誕生。
03/27:傀儡国家・満州国の建国をめぐり、常任理事国の日本は国際連盟を脱退。

アメリカのコロンビア大学教授、世界初のFM実験放送に成功。
エドウィン・アームストロング教授は、2年前にFMの特許を取得。
そして、6月11日、RCAの協力によって、エンパイヤーステートビル85階の送信アンテナから
FM電波を発信して実験放送を成功させた

松下電機の電蓄一号機松下電器(パナソニック)、ラジオ付電蓄の一号機発売。
日本のオーケストラ指揮者の草分けで元子爵の近衛秀麿は、
この電蓄を聴いて、「アメリカのRCA製のものだと言われれば、
私は信用するだろう・・・」と、その出来映えを絶賛。

幕を明けたベルリンオリンピック。
テレフンケンのPAシステムがメインスタジアムで活躍。
65万の観衆で埋まったメインスタジアムのPAシステムは250組。駆動アンプの総出力10KW。その音はどの場所でも明瞭に聴くことができた。日本にも「前畑頑張れ!」の実況アナウンサーの声が、揺らぐ電波に乗って届いた。

RCA、テレビの試験放送開始。
08/11:ベルリンオリンピック女史200m平泳ぎで前畑秀子選手が日本女子初の金メダル。
02/26:ニ・ニ・六事件勃発。昭和維新を掲げる日本陸軍皇道派の青年将校らが、兵を率いて決起。
 大臣二人と教育総監を殺害。3日後、反乱軍とみなされて鎮圧される。

日本ビクター純国産電蓄 RE-48ビクター蓄音器(JVC)、RCAの技術でトーキーを国産化。
RCAのトーキーシステム「フォトフォン」の輸入と劇場への設置を行ってきた日本ビクター。日中戦争の影響で輸入が止まり、止むなく独自に国産化。この年だけで、全国200の映画館に導入した(当時の朝鮮・満州を含む)。

ビクター蓄音器(JVC)、純国産ラジオ付き電蓄発売。
同調指示のマジックアイのみRCA製。アンプ部は三極管2A3プッシュブル。スピーカーは、20cmのダイナミック型をマルチパイプダクトのバスレフ型キャビネットに納め、ピックアップはRCAのコブラ型(形状がコブラの頭に似ている)を真似たもの。その音は特需景気で潤ったハイカラ族を魅了した。大卒の初任給が100円、工場労働者の月収が90円ほどの時代に価格は480円。

日本人初。パリ音楽院を優秀な成績で卒業したピアニストの原千恵子(23歳)、
 第3回ショパン国際ピアノコンクールに入選。前例のない計らいで「特別聴衆賞」が贈られた。
06/10:新交響楽団(N響の前身)、日本の統治国、朝鮮の京城で初の海外公演。
07/07:盧溝橋事件(盧溝橋に於ける日本軍と中国革命軍の武力衝突)を契機に日中全面戦争へ突入。
12/13:日本陸軍、中華民国の首都・南京を攻略。日本各地で万歳の祝賀行事。
 日本陸軍による南京大虐殺が敗戦後の東京裁判で明るみに。
東京芝浦電気(東芝)発足。
わが国初の三極真空管を開発した東京電気と、重電の芝浦製作所が合併。
民・官・軍の飛躍的な需要の拡大も応えて、総合電気グループへと躍進する。

福音商会電気制作所(パイオニア)創立。
創業者の松本望が個人事業として行っていたスピーカーの修理や販売から、
スピーカー・ユニットの製造に乗り出す。

RCA、ビクター蓄音器(JVC)の資本をすべて撤退。
日中戦争による日米関係の悪化が原因。ビクターは、東京芝浦電気(東芝)の傘下になり、犬のトレードマークとビクターの商号はRCAから譲り受けた。一方、政府は贅沢品である電蓄の製造禁止を発令。
戦局昏迷の昭和19年には、在庫品の販売に対して120%の物品税を課した。

昭和光音工業(スタックス)創立。
録音技師であった林尚武が創業。理論上の存在であった電気変換方式のコンデンサー型に着目し、
ピックアップの開発に着手。戦後、一貫した技術ポリシーで独自のポジションを築く。

12/13:日本の陸海軍爆撃機、中華民国の新首都・重慶を無差別爆撃。
 同作戦は、4年近くに渡り断続的に続いた。

日本電気音響(現・デノン)創立。
国産初の円盤式録音再生兼用機C-14-DをNHKに納入。

デジタル伝送方式の発明。
アメリカの技術者A・H・リーブスが、まったく新しい通信伝送の手段として、PCM(パルス・コード・モジュレーション)の原理を発明。しかし技術的限界から実用化には至らず理論に止まった。

02/:わが国初のラジオ展。大阪の高島屋百貨店が主催し送信実験が行なわれた。
07/26:アメリカ、日米通商航海条約の廃棄を日本政府に通告。
08/19:東京放送(NHK)、日本橋三越でテレビの放送実験を一般公開 。
09/01:ドイツのポーランド侵攻で第2次世界大戦勃発。戦火は文字通り世界に拡大。

東北大学の永井健三、ドイツのヴァルター・ヴィーベル、アメリカのマーヴィン・カムラスの3人、相次いで磁気録音の「交流バイアス方式」を発明。
実用化はドイツの化学メーカーBASF社がテープの改良に成功したことで最も早く、
ヒトラーの演説や、指揮者フルトヴェングラーとベルリンフィルの長時間高音質録音に広く使用され、
ステレオ録音も試みられた。

04/:日本ビクター蓄音器(JVC)、35mmフィルムによるトーキー用光学録音システムを開発。
10/:日本ビクター蓄音器(JVC)、RCAの技術よる日本初のテレビを日本放送協会(NHK)と陸軍に納入。
12/15:MGM映画の大作「風と共に去りぬ」、映画の舞台となったアトランタで初公開。

3チャンネルステレオ録音によるアニメーション音楽映画「ファンタジア」公開。
ベル研究所とWEの研究成果が実ったウォルト・ディズニー製作のアニメーション映画。この成功は、ハリウッドにも大きな衝撃を与えた。演奏はレオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団。

初の同軸型ユニットALTEC601アルテック・ラシング設立。
世界初のデュプレックス(同軸型)ユニット「601」完成。

3年後、604型に改良されてからは、基本構造を変えることなく、録音のワイドレンジ化に合わせて広帯域化がはかられ、半世紀以上にわたるレコーディング・モニターのリファレンス・スタンダードとして使われた。なお、イギリス「タンノイ」の同軸型はこれをモデルに、6年後の1967年に誕生。

日本電気音響(デンオン)、録音再生兼用のカートリッジを開発。
松下電器(パナソニック)、軍事産業に参入。
06/22:ドイツ、独ソ不可侵条約を一方的に破棄。同盟のイタリア軍とソ連邦に侵攻。
07/25:アメリカ政府、在米日本資産を凍結。
09/24:新交響楽団、3ヶ月に渡り、日本初の「モーツァルト・チクルス」を開催。
09/27:日独伊三国軍事同盟締結。外務大臣の松岡洋右、英雄扱いで日本凱旋。
12/08:日本海軍、ハワイオワフ島のアメリカ海軍基地を奇襲攻撃。陸軍はマレー半島に上陸。
 ルーズベルト大統領、テレビを通して対日宣戦布告要請の議会演説を行なう。

ALTEC Driver 288 & Woofer 515戦時下のアメリカ政府、映画産業を
軍需と同格の重要産業に指定。

トーキーシステムの新たな開発も同様で、アルテックラシングは、劇場の広い空間の隅々にまで、明瞭な音を届けるために、強力ドライバー「288」と38cmウーファー「515」を開発。また、このユニットを使用したボイス・オブ・ザ・シアター「A5」相当のシステムも実用化した。


04/01:日本本土初空襲。空母から発進した16機の米爆撃機B-251が関東東海の工業地帯を空爆。
05/01:新交響楽団が財団法人「日本交響楽団」(N響の前身)、に改称。
06/05:ミッドウェイ海戦、日本の機動部隊惨敗を喫す。優秀な熟練パイロットの多くが戦死。
06/18:アメリカ、原子爆弾開発のマンハッタン計画スタート。
ビクター蓄音器(JVC)、軍部の敵性語排除の通達を受け、
 社名を「日本音響」に改称し、軍需会社の指定を受ける。
日本軍部、敵性音楽ジャズの放送を禁止。

06/06:ノルマンディー上陸作戦。連合国7ヵ国、約300万の将兵がドイツ占領下のフランスに侵攻。
08/22:沖縄の疎開児童を乗せた大型貨物船「対馬丸」、潜水艦の魚雷攻撃で沈没。1476名が犠牲に。
08/25:パリ解放。連合軍と武装蜂起のパリ市民がドイツからパリを奪還。

05/07:ナチスドイツ無条件降服。のちに東西二つの分断国家に。
06/14:焦土と化した東京、日本交響楽団(N響)267回目の定期演奏はベートヴェンの「第九」。
07/16:アメリカ、史上初の原子爆弾トリニティの実験に成功。
07/26:日本政府、ポツダム宣言(日本への降服勧告)を黙殺。
08/06:広島に原子爆弾投下。半径2.5キロ圏内の市内壊滅。3日後には長崎にも。
08/09:ソ連、米・英・ソのヤルタ会談に基づいて日本に宣戦布告。
08/14:日本政府、天皇の聖断を仰ぎポツダム宣言受諾を決定。
08/15:天皇の肉声による玉音放送で戦争終結。
09/02:日本政府代表、米戦艦ミズリー号の艦上で降服文書に調印。
09/14:日本交響楽団(N響の前身)、敗戦後初の定期演奏会はベートヴェンの「英雄」。
12/31:東京放送(NHK)、紅白音楽試合を放送(後の紅白歌合戦)。

The Year

1881
明治14年











1887
明治20年












1893
明治26年

1894
明治27年

1895
明治28年












1901
明治34年

1903

明治36年

1904
明治37年

1906
明治39年




1909
明治42年

1910
明治43年



1912
明治45年

1914
大正3年

1915
大正4年
1916
大正5年


1917
大正6年




1918
大正7年











1919
大正8年






1920
大正9年

1921
大正10年
1923

大正12年




1924
大正13年

1925
大正14年






















1926
昭和元年







1927
昭和2年








1928
昭和3年













1929
昭和4年

















1930
昭和5年







1931
昭和6年
















1932
昭和7年

1933
昭和8年








1935
昭和10年.



1936
昭和11年














1937
昭和12年

















1938
昭和13年


















1939
昭和14年










1940
昭和15年








1941
昭和16年



















1942
昭和17年













1943
昭和18年


1944
昭和19年


1945
昭和20年










INDEX

1881〜1945
立体音の発見と
二つの源流

1946〜1957
日本の戦後復興と
Hi-Fiへの熱き試み

1958〜1965
幕を開けた
ステレオの時代

1966〜1970
開花する日本の
独創技術

1971〜1980
4チャンネル騒動と
成熟の頂きに立った
コンポーネント

1981〜1990
AV時代の到来と
CDの登場
INDEX

*国内ブランド
ACCUPHASE
AUDIO TECHNICACORAL
DENON
DIATONE
EROICA & UESUGI
FOSTEX
GRACE
LIVING AUDIO
Lo-D
LUXONKYO
PIONEER & EXCLUSIVESANSUI
SONYSTAXTECHNICS
TRIO & KENWOOD
VICTOR (JVC)YAMAHA

アンサンブルステレオと
セパレートステレオ


*海外ブランド 
ALTECAR
GOODMANSJBL
JORDAN WATTSMARANTZ
MclNTOSH
ORTOFON
SMETANNOY







 






































































































































































































































 

 







































































 







































































































































































































































































































































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